こんにちは!もーもーです!

先日のNHKの番組「歴史ヒストリア」が興味深いタイトルでした。

日本人の夢をつくった男 小林一三の逆転人生

小林一三さんを皆さんご存知ですか?

関西住んでる方だと「阪急電車を作った人ね」とご存知の方多いかもしれません

もしくは最近のニュースで松岡修三さんの曽祖父と認識している方もいらっしゃるかもしれませんね

それだけではありません

小林一三さんは本当に偉大な方なのです

今回は小林一三さんのご紹介をします

小林一三さんのプロフィール

名前 小林一三
生年月日 1873年1月23日
出生県 山梨県
出身校 慶應義塾大学
死没地 大阪府池田市

(実績)
日露戦争後に大阪に出て、鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め、六甲山麓の高級住宅地、温泉、遊園地、野球場、学校法人関西学院等の高等教育機関の沿線誘致など、日本最初の田園都市構想実現と共に、それらを電鉄に連動させ相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた。

出典:wikipedia

 

平坦ではなかった小林一三さんの人生

小説家志望だった小林一三さんは、その夢をあきらめ銀行に就職。
しかし、上手くいかず思い切って脱サラ!

ほとんど人の住まない田園地帯で新たな鉄道を敷くことに。こちらが現在の阪急電鉄です。
そのため小林一三さんは西の鉄道王と呼ばれていました。

乗客数はなかなかのびず、そこで一三さんが思いついたのは、終点の小さな温泉街「宝塚」を家族で楽しめる一大行楽地にすること。何度も失敗した結果、一三さんは少女たちだけで演じるミュージカルを作りました。
こちらが現在の宝塚歌劇です。

参考:歴史秘話ヒストリアHP http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/378.html

駅のホームで乗客を観察していた一三さんは、買い物袋を抱えた女性に目をとめます。

そこでひらめいたビジネスアイデアが、駅直結百貨店―「ターミナルデパート」でした。

こちらが現在の阪急百貨店!本当に素晴らしいですよね!

そして映画産業にも参入しました。(現在の東宝

小林一三さんは人々の生活を豊かにした偉大な事業家だったと言えます。

小林一三さんが成功したのは、明るくてポジティブな性格だったからだそうです。
まず、脱サラする勇気に感服ですよね・・・

前向きに行動すれば閃いて人生好転するものなのかもしれませんね。

タカラジェンヌは小林一三先生にお祈りする!?

タカラジェンヌが「小林一三先生」と呼んでいるのを、宝塚ファンならご存知の方多いと思います。

宝塚音楽学校の初代の校長先生は小林一三さんだったので、もう・・・タカラジェンヌにとっては大先生なのです!

事実を明確にできていませんが、宝塚の生徒さんは小林一三さんに「今日も公演が無事に終わりますようにお願いします」とお祈りするそうです。

ちょっとあいまいな部分があるので更にリサーチしたいと思います。

それではまた!